シリーズ自分史
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一花繚乱(24)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/25シリーズ自分史海外の学会へ(5) そろばん大使の姉妹 豪州・ブリスベンで1989年(平成元年)8月下旬に開催された、「国際女医会議」も思い出深いものだった。 会議前日に、豪州・シドニー経由でタスマン海の上を3時間ほど飛び、ニュージーランド...
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一花繚乱(23)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/24シリーズ自分史海外の学会へ(4) 治療から予防に重点 もう少し米国・ヒューストンでの「世界健康教育会議」のことを記したい。 メキシコ湾に近いこの地域は南九州を思わせる蒸し暑さで、ホテルのそばにはハイビスカスが咲いていた。ヒューストンは石油...
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一花繚乱(22)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/23シリーズ自分史海外の学会へ(3) 日本の良さを再認識 2度目の海外での学会は米国だった。1988(昭和63)年8月28日から6日間、テキサス州ヒューストンで開かれた第13回「世界健康教育会議」に出席した。 私たちは会議6日前に直行便でロサ...
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一花繚乱(21)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/22シリーズ自分史海外の学会へ(2) トラブルはつきもの 私にとって初めての海外での学会参加だったが、やはり海外ではさまざまなトラブルは付きものだった。つい最近、小規模空港での飛行機の定時出発率で宮崎空港が「世界一」となったニュースがあった。この時...
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一花繚乱(20)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/21シリーズ自分史海外の学会へ(1) 「禁煙教育」に大収穫 1973(昭和48)年に夫・琢也が柳田病院を開業し、私も副院長となった。しばらくは現場での診療や医師会の仕事のほか校医、園医などの仕事に忙殺された。 しかし、そのうち診察室でその専門...
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一花繚乱(19)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/20シリーズ自分史子どものための禁煙運動 人生かけチャレンジ 禁煙運動の取り組みについて、もう少し触れさせてもらいたい。前述したように、1985(昭和60)年ごろからようやく「煙害」「禁煙」が言われ始めた。日本小児科学会は、「子どものための禁煙記念推...
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一花繚乱(18)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/19シリーズ自分史日本も禁煙の時代へ 防止教育や運動に力 1986(昭和61)年1月10日の宮崎日日新聞に、「急げ、禁煙教育」と題した私の寄稿文が掲載された。 ちょうどその前年に開催されたアイルランドでの「世界健康教育会議」に参加したのだが、...
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一花繚乱(17)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/18シリーズ自分史小児科の現場について 社会環境にも敏感に 小児科医として地域と深く関わっていくにつれて、身体の傷病に加えて「心の問題」に関する領域にも踏み込まざるを得ないことが多くなってきた。それに伴って、研修会の数も増えてきた。 特に地域...
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一花繚乱(16)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/17シリーズ自分史夫が柳田病院開業 二人三脚で地域医療 夫の柳田琢也は、熊本大学医学部から大学院に進学し、脳神経外科(当時の第一外科)に入局し博士号を取得した。医局は当時、救急医療の最先端を担っていて格段に忙しく、1週間家に帰れない日もあった。「ベン...
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一花繚乱(15)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/03/16シリーズ自分史郷里の都城へ 初の女性小児科医長 熊本大学医学部から大学院に進み、赤痢菌をテーマにした論文で学位を取った。専門は小児科。その後、医師として八代総合病院で小児科部長となり、郷里の都城に戻り、1967年(昭和42年)に「国立都城病院」の...
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