シリーズ自分史
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一花繚乱(55)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/26シリーズ自分史長女が柳田病院長に 地域医療に日々前へ 私たち夫婦の職業を継ぎ医師となった柳田家の長女、柳田浩子について書いてみたい。 1968(昭和43)年、夫が都城市で開業した年、浩子は生まれた。地元の中学校を卒業後、岡山県倉敷市にある...
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一花繚乱(54)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/25シリーズ自分史柳田琢也前理事長のこと(2)また一緒に歩みたい 私の夫・柳田琢也の功績はいろいろとある。その一つは、高度の技術を要し危険を伴う頸動脈から造影剤を注入する脳血管造影だ。新しい注射針「C針」を考案し、百発百中の安全な針として宮城・仙台で...
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一花繚乱(53)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/24シリーズ自分史柳田琢也前理事長のこと(1)脳外科の発展に奮闘 私の家族についても詳しく記したい。まず、医療法人与州会柳田病院の創立者で、前理事長であり私の夫である柳田琢也だ。彼は与論島の出身である。海が得意で、若いころは「与論島はハワイよりきれい...
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一花繚乱(52)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/23シリーズ自分史アダンが揺れた日 夫の実体験 理性描く 医療法人与州会柳田病院の創立者で、前理事長であり私の夫である柳田琢也は、与論島の出身だ。小中高校時代は戦争のさなかで過ごした。与論島は本土の鹿児島から約500キロ離れているが、沖縄にほど近く人...
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一花繚乱(51)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/22シリーズ自分史西郷隆盛の書を寄贈 西南戦争の息遣いが 「西郷の書」というものも、わが家にあった。私の祖父・山内哲正は、1856(安政3)年に、都城市蔵原町で生まれた。そして青年期には、明治維新の立役者・西郷隆盛が創設にかかわった鹿児島の私学校で学...
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一花繚乱(50)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/21シリーズ自分史益田玉城の屏風絵寄贈 「姫街道」いつまでも 私の母、山内澄については以前にも記したことがあるが、その祖父が「戦艦金剛」の製作監督として命を受けてイギリスに留学した深川静の娘である。その静が長崎の三菱造船所におり、異国情緒の雰囲気の中...
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一花繚乱(49)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/20シリーズ自分史祖父と戦艦金剛と飛鳥 不思議なご縁に感慨 私の夫・柳田琢也は、海が得意だった。九死に一生を得た船旅も経験しており、「将来は世界一周の船旅を」と現実離れしたことをよく言っていた。2000年秋、豪華客船「飛鳥」が宮崎港に寄港し、2泊3日...
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一花繚乱(48)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/19シリーズ自分史旭日双光章 夫療養中に春の叙勲 2016年、私は光栄なことに春の叙勲受章「旭日双光章」を賜った。受章の理由は、「小児科医として半世紀余り、都北地区や国の医療の在り方に重要な役割を果たし、国土審議会特別委員などで国土や県土の方向付けに...
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一花繚乱(47)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/18シリーズ自分史救急医療事業功労者表彰 全国受賞者の総代に 2001年9月7日、県の救急医療事業功労者表彰式が県庁であり、3人の医師が表彰された。そのうちの一人に選んでいただけたことは大変ありがたく、これまでの周囲の方々の支えに改めて感謝したい。 ...
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一花繚乱(46)医療法人 与州会 柳田病院 理事長 柳田喜美子
2023/04/16シリーズ自分史道づくりを考える女性の会 豊かな生活への悲願 すでに一部区間の供用が始まっているが、救急医療をはじめ経済の面からも九州自動車道の都城インターチェンジと鹿児島・志布志港を結ぶ全長44キロの「都城志布志道路」の必要性が年々高まっている。...
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